MRC ニュース No. 30 (2003.10) より

Sourirajanと非対称膜の発明まで

大矢 晴彦 (横浜国立大学名誉教授)
 


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コーヒーとマグを片手にもち、椅子の背もたれに深々と沈み込んで、丸い大きな顔のな かの人なつこいまん丸い目をくりくりさせながらSouriの発するこのー言でSourirajanの研究室の一日がはじまる。

1.Sourirajan

Srinivasa Sourirajanは、1923年10月インド(場所の名前は聞いたと思うが忘れた。) の生れ。暑い日には 120 F (49℃ なお寒暖計にはこれ以上の目盛はない。)にも達するという。1943年 Annamalei大学を卒業し、1953年Bombay大学より博士号を取得後、触媒 や吸着剤の表面積を測定するB. E. T. の吸着装置の発明者の一人であるBrunauerに招かれて米国にやってきた。高圧での吸着の研究をしており、逆浸透法も高圧操作なので、基本的なところは何もかわらないよ、ということで1956年にCalifornia 大学 Los Angelesキャ ンパス(UCLA)に逆浸透法の研究を行うために移った。

さて、Souriは 1961年にカナダのオタワあるNational Research Council (国立研究 所)のApplied Chemistry Divisionに移った。この時に決めた写真にしめすこの同じ席で1986年に定年を迎えた。ガンとして、25年間席換えには応じなかった。彼は言う: 1958年California大学のLos Angelesキャンパスに着任した時に、1つの部屋があてがわれた。 次の年には隣の部屋に移された。そして、その次の年には更に一番奥隣の部屋に移された。 その部屋の更に奥には部屋がなくて、外へ出る扉があった。そこから出されてオタワヘや つてきた。だから、私は絶対にこの席から動かない。この研究室の中ですら自分の机の位置は変えなかった。

自分の席で膜を検査しているSourirajan博士

Sourirajanは敬虔なヒンズー教徒で、その 教えには忠実であった。毎朝べ-ダを読んで から研究所へやってくると言っていた。そし て菜食主義者である。牛乳はOKだが、卵は ダメとくる。シャーベットは食べるが、アイ スクリームはダメとなる。 日本の精進料理な らばよかろうと考えるが、命ある魚が入って いるとダメ。鰹節のダシがいけない。天ぷら の衣に卵を入れるが、これがダメ。というわ けで、もう誰も自宅に招待はしないということになる。勿論、卵の入らない衣で揚げた野 菜の天ぷらは大好き。あとはカッパ巻き、味の素で味を付けた豆腐料理はOK。京都では 湯葉料理を食べてもらった。というわけで、彼が家から持ってくるお弁当は、生の大きなニンジンが4, 5本、リンゴ1ヶ、チーズ(牛乳から作るのでOK)が何切れか、そしてパン。 それで写真のように太っている。ちょっと不思議な気がする。

 2.California州の水事情

Southern Californiaは北と違って乾燥地帯である。東京のディズニーランドとOrange Countyのそれとは、それぞれのアトラクションの入口の光景がまるで異なる。日本では 行列する場所に屋根がある。米国では屋根がない。つまり雨は降らないという前提になっ ていることでも分かる。そこで、コロラド河をフーバーダムで堰き止めミドー湖を作り、 ダムの水を遠々と300 kmも、それもロッキー山脈を越えてはるぱるカリフォルニアまで 運んでいる。まずこの水を用いて溝漑を行い、農業を興した。カリフォルニア米をはじめ とし、カリフォルニアの名前を付す色々な農産物が日本に輸入されてなじみが深い。しか し、砂漠に水を滋漑して農業を行うとき、水に含まれている塩分およぴ肥料分はどうして も土壌に残る。このため100年以上を経過すると、塩分過剰となつて植物が生育しなくな る。このような塩分蓄積の理由により、古代から、砂漠にいくつかの文明が栄え、滅ぴて いった。

カルフォルニア州としては更に大量の水を使ってこの蓄積した塩分を洗い流したい。ま ず、1つは、コロラド河に注ぐ塩分濃度の高い支流の上流にフーバーダムを位置させ塩分 を少なくした。1つには海水の淡水化であった。更に、カリフォルニアの温暖な気候に さそわれて多くの人が集まり、また、いろいろな産業も興り1950年代に入り人口が急増 してきた。それも場所によっては10倍というオーダーで増加した。もうコロラド河から の水だけではまかないきれない。海水の淡水化は1つの対策である。

3.海水およぴ汽水の淡水化

海水およぴ汽水から安価に淡水をうる方法の研究は、よく知られているように、将来の淡水不足を見越して、1952年米国のナショナルプロジェクトとして発足した。同年7月2日にSaline Water Actが成立し、内務省にOffice of Saline Waterが設置されて研究推進 体勢が確立した。

まず、関連する研究者を集めた第1回の会議でいろいろな淡水化の方法が列挙された。 ついでながら、このリストには逆浸透法は含まれていない。更に広く提案をつのり、すべ てに均一の研究費1000ドル(?)を支給し、研究成果を集め評価し、ふるいにかけて残った提案に研究費を支給する、というプロセスを進めていった。そして、残った研究テーマの 1つが1953年にFlorida大学のReid教授によって提案された1)逆浸透法であった。

Florida大学では、いろいろな市販の高分子フィルムをもちいて、水の透過特性と食塩の 分離性能を調べた。1957年に発表された研究結果2)によると、酢酸セルロースフィルムが食塩を96%以上分離する能力をもっており最良の膜であることがわかった。しかしながら、 水の透過流束が極めて小さく、6 μmという極薄のフィルムを用いても 3×10-5 cm/s 程度(25 L/(日・m2))でしかなかった。

一方、Los AngelesのCalifornia大学(UCLA)でも連邦政府とは独立に逆浸透法の研究を 進めていた。1958年に発表された結果は3)、酢酸セルロース膜で 94.4%、0.14×10-5 cm/s、 酢酸酪酸セルロース膜で 99.2%、0.04×10-5 cm/s ととても実用に耐える数値ではなかった。

4.非対称逆浸透膜の発明

そこで、Souriirajan達は透過流束を上げるべく、酢酸セルロース製の古くから市販されている限外瀘過膜(Schleichen & Schuell社)をもちいて実験を開始した。透過流束は当たり前だが極端に大きくなる。しかし、食塩を分離してはくれない。

Sourirajanはこう語る。ある日、セーターを洗濯機にかけたら縮んで着られなくなって しまった。洗濯機では温水を使っているから縮んだと考え、限外瀘過膜を温水で処理する ことを試みてみた。そうしたら分離率が上ってきた。しかしながら、分離率を上げると透過流束がヘる。いろいろ試みてみたが、分離率 91.5%、透過流束 1X10-5 cm/sより性能を 上げることばできなかった4)

そこで研究方針を自ら酢酸セルロース膜を製膜することにした。当然ながら文献調査か らスタートする。製膜の歴史からはまず、1800年代の後半に硝酸セルロース(セルロイド)のアルコール溶液(コロジオン)からいろいろなグレードの細孔をもつ膜を製膜できるようになり、1918年にアメリカのSchleicher & Schuell 社とドイツの Membranefilter 社の両 社から"メンブレンフィルタ"、"ウルトラファインフィルタ"という名称で市販されはじめ ている。セルロイドは加工し易いが燃え易い(白木屋の火事の原因として有名)ということ で改良が進められ酢酸セルロースが生まれる。しかし、酢酸セルロースは加工しにくい。 この加工しにくい酢酸セルロースから限外瀘過膜を製膜する研究を古い仕事ではあるが Duclaux夫人が行っていた5)。二酢酸セルロースを過塩素酸マグネシウム[Mg(ClO4)2]に溶解させてドープ液としキャストし、空気の流動を避けるため蓋をした容器の底に、ほぼ一 晩おき水を蒸発させて水と接触させる。更に約2時間放置すると限外瀘過膜がえられる。 膜の厚さと透過流束の積はほぼ-定値となる。つまり、ほぼ均-な空隙率を持った膜が得 られていた。そして、また、過塩素酸マグネシウムの存在下に乾燥した膜はコンゴー赤を 阻止することを見出している。

Sourirajanは言う。Duclaux夫人の文献を見出したので会いにいき、(いつも思うのだが本当にフランスまで行ったのだろうか?) いろいろと話を聞いてきて研究の方向を定めたと。そしてDuclaux夫人の方法のトレースから始める。ただ違ったのは酢酸セルロース の良溶媒であるアセトンを主として利用し、これにDuclaux夫人の成果をドッキングさせた点にある。

アセトンの量はドープ液に適当な粘度を与えるように決めなければならない。アセトンと酢酸セルロースの比があまり低すぎると、たいへん粘っこいドープ液となって、均一な厚さの膜を得ることばできない。逆にこの比があまり高い希薄溶液となると、水に浸漬したときジェリー状の膜となって使用できなくなる。いろいろなテストを繰り返した結果この比がほぽ3のとき満足すべき膜がえられることがわかった。

さて、Duclaux夫人の溶媒中の過塩素酸マグネシウムの含有量は比較的自由に変えられる。そこで、飽和溶液 [50% Mg(ClO4)2]を用いて、酢酸セルロースとの比をいろいろ変えて膜をキャストしたところ、比は1:2が最適であることがわかった。

ついでに過塩素酸マグネシウム水溶液と酢酸セルロースの比を1:2に固定したまま水溶液中のMg(ClO4)2の量を変化させた。その結果は図1に示すようにMg(ClO4)2をほぼ 10%含む水溶液を用いたときに、水の流束が最大となることがわかった。水だけをキャスト液に加えたとき、つまりMg(ClO4)2 0%のときには膜を透過する水の透過はなくなる。

膜をガラス板上にキャストするとアセトンが蒸発して直ちに白濁してくる。アセトンを 充分に蒸発させてから水に浸漬した時えられた膜の脱塩性能はいちじるしく損なわれることが分かった。そこで適当時間蒸発させてから水に浸漬することにしたが、再現性がなかなかえられない。そこでキャストするガラス板を入れる箱を上蓋タイプの冷凍保存庫にかえた。(米国では家庭の地下室にこの大型の冷凍庫があり、解体した牛1/4頭分位(4〜5軒で1頭買いをする。)を蓄蔵している。これを研究用に転用した。)また、浸漬用の水のバットも冷凍庫に入れた。そうしたら、蒸発時間に対する再現性がよくなった。

脱塩性能のよい膜は0℃以下の雰囲気で3〜4分アセトンを蒸発させ(この時、上蓋をす る)て氷水に1時間以上浸漬した膜を最低1時間75〜82℃、熱水中で熱処理して得られた。 これが最初の Loeb-Sourirajan膜の誕生である。その条件は表のようである。彼らは得られた膜が非対称構造となっているということは、この時点では知らなかった。

5.Sourirajanの膜分離機構モデル

Loeb-Sourirajan膜はまず限外瀘過膜としてキャストされ、これを熱処理し、収縮させて得られることから、Sourirajanのこの膜の構造、そして膜透過機構に関する考え方は、 膜に細孔があると考えることから出発する。 ついでかっての吸着の研究の時の考え方より抜けられないで、 水が何層か膜の表面に吸着し、 これが細孔に向かって流れると 考える。つまり図2のようなモ デルに行きつく。吸着層の厚さ t の2倍 (2t) 以下の直径の細孔があいているならぱ脱塩性能がでるということになる。しからば、 性能のよい膜は細孔が沢山あれぱよい。ということで研究の方向はいかに多孔性を上げながらその細孔径を2t以下にするということになる。

細孔径を測定するとか、吸着層の厚さを測定するとか、もう少し基礎的な研究があったらもう少し違った成果が得られたのかも知れない。結局このモデルは一般的に受け入れられていない。


引用文献

1) E.J. Breton, Jr., OSW R&DP Report No.16(1957)
2) C.E. Reid and E.J. Breton, Jr.,; J. Appl. Polymer Sci., 1, 133(1959)
3) S.Y. Yuster, S. Sourirajan and K. Bernstein, UCLA Dept. of Eng. Report No., 58-26(1958)
4) S. Loeb and S. Sourirajan, ibid No. 59-28 (1959)など
5) M. Amat and J. Duclaux, J. Chim. Phys., 35, 147 (1938)